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Women at Work !  7


予定よりかなり早く到着した陽南子は、ロビーのソファーに腰掛けて、時間つぶしがてらホテルの造りをチェックしていた。

『しかし、どこも良い材質を使っているな』
床や柱に使われているのは、天然の大理石。昨今、経費節減で人造ものが多くなっているというのに、ここはふんだんに高価なそれが当てられている。
カウンターの机は合板ではないし、客たちが待ち合わせをするためのソファーもヨーロッパの有名なメーカー製で、おそらく特注品を輸入したものだ。
『お金、掛けてるよなぁ、さすがに』
歴史ある古参のホテルに比べて日本で開業してからの日はまだ浅いが、クラス評価は最高級、外国のセレブ御用達という触れ込みは嘘ではないようだ。

今日も何か大きな催しでもあるのか、ここについてからずっとロビーがざわついている。ほとんどの男性がブラックタイ着用、女性はフォーマルなドレス、中には着物姿の年配の女性もいた。

4時少し前になり、入口から入ってくる伯母の姿を見つけた。
「伯母さん」
彼女を一瞥しても何も言わなかったところを見ると、今日の服装は合格なのだろう。今着ている淡いブルーのワンピースは、数年前に友人の結婚式の2次会用に買った服だった。髪も一応軽く巻いて後ろに流すようにして髪留めで纏めた。食事をするには少し邪魔だが、ひっつめてしまうとどうしても地味になってしまうからだ。
靴は大人しい黒、ただし踵があり、銀色のバックルがついていた。
「まぁ、格好はいいのだけれど、背がねぇ…」
「こればかりは仕方がないですよ、伯母さん」
陽南子は苦笑いを浮かべた。
膝上丈のスカートに合う靴といったらこれしか持っていない。7センチあるかないかという位の中ヒールだが、彼女が履くと軽く身長は180センチを超える。
今でも伯母を見下ろすような感じになっているのだ。一応相手の男性は身長が178センチとのことだが、往々にして数センチ誤魔化して書かれている場合が多いことは経験上分かっていた。
「まぁ、そうね。あとはあちらの釣書がサバを読んでいないことを祈るしかないわね」
伯母と陽南子は顔を見合わせて笑った。

見合いはまずまず滞りなく終わった。
相手の男性は実直そのもの、可もなく不可もなくとった感じだったが、とにかく彼女を見てもすぐに逃げ出しそうな様子は見せなかった。
引き合わされたラウンジで、お茶を飲みながら簡単に自己紹介をした後すぐに伯母たちが退席してしまい当人だけにされたが、二人では間が持たない。結局早めの食事にでも、ということになり、ラウンジを出ることにした。
そして二人が上階のレストランへと上るエレベーターに向かった時、前方で何か騒ぎになっているのが聞こえてきた。

「止めてください」
小柄な女性が掴まれた腕を振り払おうとしているのが見える。服装からして、恐らくどこかのパーティー会場に呼ばれたコンパニオンか何かだろう。
付きまとっていると思しき中年の男は傍目に見ても酔っ払っていることが分かるほど赤い顔で何やら意味の分からないことを言っている。
側を通ろうとした陽南子は、女性に突き飛ばされてよろめいた男にぶつかった。

「どこを見てほっつき歩いているんだ、この大女が」
まったく、この年になってもまだ酒の飲み方を知らないとは、酔っ払いにはほとほと呆れる。
本当ならヤキでも入れてやりたいところだが、今日は連れもいることだ。陽南子は軽く睨んだだけで無視を決め込んでその場を立ち去ろうとしたが、すると今度はその男が攻撃の矛先を彼女に向けてきたのだ。
「そんなところに突っ立ってるからぶつかったんだろう。えっ?」
呂律が回らない口で泡を飛ばして食って掛かる男に、彼女が更に冷たい一瞥をくれる。
「だいたいお前みたいなのが女の格好をしとることがおかしいんだ」
酔っ払いに怖いものなしとはよく言ったものだ。だいたいこういう男が世の中にのさばっているから、痴漢もセクハラの被害もなくならないのだ。そう考えると、陽南子は段々と腹が立ってきた。
「聞いてるのか、この…」
酒臭い息がかかって気持ち悪い。再び男に腕を掴まそうになった時、彼女が辛うじて被っていたネコは一瞬でどこかに吹き飛んでいた。

「とっととどっかに行きやがれ、この飲んだ暮れオヤジがぁ」

普通の男なら、彼女が発する怒気と周囲が凍りつきそうなドスの利いた口調にびびるところだろうが、生憎と、しこたま酔っているらしいこの男は空気を読めず、無謀にも彼女に掴みかかった。
「何だと、この女(アマ)」
遠巻きに集まっていた周囲の人々に緊張が走る。
それは一瞬のできごとだった。




調印式とその後のレセプションを終えた大地は、着替えのために友人と共に上階へと向かっていた。
今日は念のためにホテル内にスイートを3室押さえてある。1室は両親や親族の控え室、もう1室は来賓が使っている。そして最後の1室は弟と自分用に用意したのだ。

今日のパーティーには主な取引先や顧客、大口の株主、それに仕事上でも付き合いのある友人も若干名招待していた。
今隣にいる小早川彬もその一人だ。彼とは高校の同級生で、在学中に留学をした際にもアパートメントをシェアした仲だ。その後、大学は別々のところに進んだが、今でも親交があり、大地の気が置けない友人の一人でもある。
小早川自身も手広く事業を展開しており、その関係で朝倉との付き合いもあった。
日頃は二人とも多忙でなかなか互いの近況報告もできないので、この機会にゆっくり飲みなおそうと部屋に上るところだったのだ。

「おい、あれ見てみろよ」
彬がロビーの奥にできた人だかりを指す。
彼らの後ろから、慌てた様子の警備員が駆けつけて行ったのを目で追うと、その時割れた人垣の間から、どうも見知った姿が見えたような気がした。
「あれは」
大地は脇目も振らずにその人だかりを目指す。
果たして、そこにあったのは、床に腹ばいに押さえつけた男を後ろ手に捻り、上から肘で押さえ込んでいる女性の姿だった。

「陽南子さん?」
「し、社長?なんでこんなところに?」
大地は驚いて固まる陽南子の側に寄ると、その手を掴んで彼女の身体を引き上げた。
「いや、今日はここでパーティーがあって。それより君は?」
「いえ、ちょっと野暮用で…」

何という偶然

二人は互いに信じられないといった様子で相手を見つめた。
その間にも警備員が暴れる酔っ払いを二人掛かりで押さえつけようと躍起になっていた。その脇で、騒ぎを聞きつけて来た支配人に、周囲の目撃者が事の顛末を説明している。

陽南子は酔っ払って掴みかかってきた男をあっさりと交わすと、一撃でそのまま床になぎ倒し、腕を捻り上げてしまったというのだ。
合気道の心得がある彼女にかかれば、男の一人くらい朝飯前で片付けてしまう。ましてや正体のない酔っ払い相手ならば、本気を出さなくても軽いものだ。
事情を聞いた支配人が、警備員と何やらひそひそ話をしている。
それを見た陽南子は、はっとしてあたりを見回した。
「ああ、マズい。やらかした…」
そこから見ても、彼女たちを遠巻きにしている見合い相手の顔が強張っているのが分かった。
『まずい、拙すぎる…』
多分この見合いは即刻なかったことになるだろう。彼女の脳裏に伯母の怒り心頭した顔が思い浮かんだ。


「とにかく、ちょっと来なさい。そのままでは、どうにもならないだろう」
「えっ?ちょ、ちょっと待って」
そんな彼女の心配を知る由もない大地は、スーツの上着を脱ぐと、陽南子の背中に掛ける。そして腕を取ると、抵抗する彼女を引きずるようにしてエレベーターホールに向かった。
「あ、あのっ、私帰らないと」
「だから、そのままだと外に出られないだろう?自分の姿をよく見て見なさい」
大地に掛けられた上着を脱ぎ、後ろを向いて鏡のように磨かれたエレベーターの扉に映った自分の格好を見た陽南子は絶句した。
「うわ、嘘っ、最悪」
タイトなデザインのワンピースは、後ろのスリットがお尻の上あたりまで裂けていた。

『そういえば、一発、膝蹴りをお見舞いしちゃったからなぁ。あの時かぁ…』

裾からのぞきそうでスリップを着なかったため、歩くたびに裂け目が捲れてお尻の半分が丸見えだ。それも、今日に限って勝負下着の赤いTバックをはいているのがパンスト越しでもはっきり分かる。
いくら色気がないとは言っても、彼女も若い女性だ。
さすがにこの格好では恥ずかしくて、家までどころか、ホテルのロビーだって歩けない。
顔を赤らめた陽南子の肩に、大地は再び上着を着せ掛けた。彼女以上に上背がある大地の服だと、背の高い陽南子でもしっかり後ろが隠れることに感謝したい気分だ。
「上に部屋をとってあるから、着替えなさい。それに顔も洗ってみた方がいい」
気がつかない間に男の手が当たったのか、彼女の左の頬が赤く腫れている。その時になってようやく陽南子も口の横が痛む事に気付いた。

「朝倉」
大地の後ろにいた男性が声を掛ける。
身長のある大地の横に立っても見劣りしない、かなり大柄な男性だった。
「僕はここで失礼するよ。祝杯はまた今度」
彼はそう言うと陽南子の方を向いた。
「失礼しました、私は小早川と申します」
そう言って名刺を差し出す。
「またお会いする機会があるかもしれませんが…今日はここで失礼します」
男性は最後に薄く笑みを浮かべると、二人の側を後にした。
笑ってもストイックさを感じさせる、厳つい感じの人だな、とその背中を見送りながら陽南子は思った。

「エレベーターが来たよ」
大地はそう言うと陽南子の肩を抱き、後ろを庇うように隠して扉の中に乗り込んだ。




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